プラム麻里子を忘れない
私が必ず泣いてしまう記事がある。それは「プラム麻里子の死」に関する記事だ。
プラム麻里子-JWP所属。1997年8月15日の広島大会で、尾崎魔弓のライガーボムにより頭部を強打。翌日の16日に脳挫傷により死去。享年29歳。
私はプラム麻里子の死の翌日に行われた試合の様子を伝えた週プロ増刊号の810号と、プラム麻里子が表紙になった週プロ811号を未だに持ち続けている。あれから10年経ったが、この雑誌がある限り、私の中で風化する事は無い。この10年の間、何度も記事を読み返し、そして100%泣いてしまうのだ。今後、こう言う事は無いかもしれない。
この雑誌を持ち続ける事は、プロレスファンである自分への戒めである。プロレスファンが背負った十字架をいつでも確認し、忘れぬ様に時々読み返すのである。
怪我が多く、苦労が多かったプラム。キューティー鈴木や尾崎魔弓の華々しい活躍に比べれば、地味な存在だったプラム。でも当時としては、女子では珍しく関節技を主体にしていて、「サンボ姫」と言われていたプラム。そんなプラムの苦労と努力、そして尾崎の辛さ。それを思うと切なくてたまらない。今週号の週プロの「週プロの証明」と言うコラムにもプラムの事が書かれていたが、やっぱり涙が出た。
そこにも書かれていたが、私たちはプロレスがいかに危険なスポーツかを忘れてはならない。そして、プロレスラーがたゆまぬ努力で強靭な肉体をつくり、命がけで我々に感動を与えてくれている事を(だからこそ、一部のインディーレスラーや団体を認める事ができないのだが)。リングの上で行われている事が当たり前の事だと思ってはいけない。ドロップキック1つとっても受身1つとっても、実はいつも危険と隣り合わせなのである(だから、野次を飛ばすなんてもっての外)。それをプラム麻里子は教えてくれたのだ。
今年の8月16日、私は仕事で東京には行けないが、尾崎が「プラムの花咲くOzの国」と言う興行を行う。是非とも成功させて欲しいものだ。
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コメント
プラムの事を忘れないという人がいてくれて嬉しいです。私もそのうちの一人です。この10年その事を背負ってJWPを応援し続けてきました。これからも応援し続けると思います。OZの方は行けませんが、毎年行っているJWPのプラムメモリアルマッチはプラムのTシャツを着て見に行く予定です。
投稿: ピュアパック | 2007年7月27日 (金) 11時35分
ピュアパックさん、コメント有難うございます。
プラム選手は決して記録に残る様な選手ではありませんでした。目立つ様な活躍もしませんでした。でも、こうして記憶に残っているのは、やはりプラム選手の人柄、人徳によるものだと思います。
語弊があるかもしれませんが、プラムメモリアルマッチは是非楽しんできて下さい。プラム選手もそれが1番嬉しいと思いますから。
投稿: 隅石あらん | 2007年7月27日 (金) 20時14分
はじめまして。
プラム麻里子で検索してたどり着きました。
ピュアパックさん同様、プラムを忘れないでいてくれている方がここにもいらっしゃる事を嬉しく思います。
私も、この10年、プラムの事は忘れずにいました。
あの日のこと・・・・
明日、プラムに会いに行ってきます。
投稿: KING | 2007年8月16日 (木) 03時21分
KINGさん、コメント有難うございます。
アクセス解析を見てみると、「プラム麻里子」で検索して訪れる方の何と多い事か。それほどプラムは多くの人に愛されていたんだなあと、今更ながらに驚かされます。
これからもプラムの事を忘れず、なおかつプラムが一生を捧げたプロレスを応援していきましょうね。
投稿: 隅石あらん | 2007年8月16日 (木) 11時59分
プラムさんは憧れの選手でした。つい2、3年前の事だと思ってましたが、もう十年以上も経つんですね・・・今ではスッカリ自分の方が年上になってしまいましたが、彼女の事は今まで一度も忘れたことは有りません。 これから先もきっと彼女の事を忘れることは無いでしょう
投稿: 吹雪 | 2008年7月 3日 (木) 14時54分